初心者向け格安ギターとバンドメンバー募集のグローバルサウンド新宿
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バンドメンバーを募集する バンドのライブチラシ作成 音楽コラム

イベント、この一体感

僕の長いロックビジネスの中でも、特別なできごととなった三つのイベントがある。
すべて、アーティスト、スタッフ、ファンという三者の組み合わせが、みごとに凝縮されたイベントばかりだ。
その1。一九九七年七月二十四日、ベテランから若手まで、
新宿のライブハウス「ロフト」をにぎわせた三十数組のロックアーティストが日本武道館に集まった。
ロフト開店二十周年を祝う記念イベントだ。
ふだんのコンサートとは違い、午後二時に始まったが、客席はもう満員である。
ファン層も、十代からかなりの年配者まで幅広い。
僕も、ロフトで、シーナ&ロケッツの初ライブや、サザンオールスターズのアマチュア時代を見た思い出がある。
当時はいつもライブが終わったあとに、客席で打ち上げパーティがあり、
気がつくと、ステージではジャムセッションが行われていたものだった。
ここから仲間が広がって、新しいバンドが誕生したり、バンド同士が盛り上がってイベントの企画になったりしたのを鮮明に覚えている。
二十年もの長い間、同じ場所でライブハウスを続けており、しかも、一貫してストリートバンドを応援してきたロフト。
単なるライブハウスという枠を超えて、ロックカルチュアの牽引車としての大きな役割を果たしてきた。
これからもまだまだ続けるぞ、という意思表示のイベントでもあり、出演アーティストたちの大きな共感を呼んでいた。
八年ぶりになるARBの再結成や、サンハウス、ルーズダースなど往年のビッグスターが勢ぞろいという話題に加えて、
最新の人気バンドも登場するという、前代未聞の一大イベントだった。

その二。
七月二十六日から、富士山麓の天神山スキー場で「フジーロックーフェスティバル」が開かれた。
二十六・二十七日の二日間にわたって、レッドホットチリペッパーズ、レイジアゲインストザマシーンなど、
世界的に有名な、今をときめくオルタナティブ系のロックバンドが三十二組も出演するフェスティバルだ。
海外でも大きな話題になっている。
ロンドン郊外で毎年開かれている大規模なロックフェスに通いつめ、いつか日本でもという夢を抱き、
何年もかけて場所を選びぬき、海外と交渉の結果やっとこのイベントを実現したのが、ロックプロモーター「スマッシュ」のJ社長である。
日程も、データ的に一年で最も好天気が多いという日を選んだ。
彼の情熱とエネルギーが有名バンドの共感を呼んだらしく、
出演希望のバンドが殺到して断るのが辛かったという話も伝わってきたほどである。
楽屋になっている大きなロッジは、外国と日本のバンドが談笑したり、軽いセッションが始まったりで、
いつものイベントには見られない交流の場になっていた。
ここでもJ氏は、お互いを紹介したりして動き回っており、この大イベントの趣旨をあらわしているようだった。
しかし、台風の接近により、夕方の五時頃から雨足が急速に激しくなっていった。
僕は長袖のジャケットに雨がっぱを着て二つのステージを歩き回っていたが、若い女の子のファンはTシャツー枚でびっしょり。
ちょっと危ないなあ、と心配になっていた。
そしてその頃から、雨にうたれて体調を悪くした若いファンが、一階の看護室に次々と運びこまれてきた。
大ぜいの医師と看護婦が待機して万全の態勢を取っていたにもかかわらず、ロビーはあっという間に人でうめつくされてしまった。
以前にJ氏が「日本人は野外でのイペン卜に慣れていないから、天気の急変による事故が心配だよ」と言っていたのを思い出した。
夜になり、僕は、翌日の大阪でのイベントに行くため、後ろ髪をひかれる思いで会場を後に
した。前が見えないくらいの豪雨の中を車で走りながら、ラジオで、近くの電車がストップしているとのニュースを聞いた。
残してきたスタッフと、翌日の出演バンドのことが気がかりでならなかった。
緊張感とリラックスした空気が入り乱れて、これまでに見たことのないようなバンドの交流を作りだしていた楽屋の風景。
エスニックフード、雑貨の売店がズラリと並んで、その奥にはファンのためのテント村まで用意されていた光景。
雨のなかを、会場整理で走り回っていたスタッフ。
二コニコと笑いながら、二つのステージを行き来していた三万人以上の観客。
そして、このイベントに参加した喜びを、ステージの上での熱演で思いっきり表現していたロックバンド。
翌朝、スタッフから、二日目のイベント中止が決定したとの連絡がはいった。
ほんとうに残念だ。

その三。翌七月二十七日。
台風の接近で、関西地方のイベントは大きな打撃を受けていた。
交通機関が運休のため、屋内屋外を問わず、前日から中止や延期が続出していた。
大阪のラジオ局、FM802が毎年開いている「ミートザワールドビート」は、番組に密着した企画、豪華な出演者、
客席はすべて無料招待のリスナー、という特殊なスタイルのビッグイベントとして、しっかりと地元に定着している。
スタッフや番組DJの人たちも、アーティストと一体になって、この年に一回のお祭りを楽しんでいる。
これまた、出演希望のアーティストが年々増加しているようだ。
会場は、去年と同じ大阪千里の万博公園。二万人を収容する大規模なイベントだ。
しかし、前日の台風のために、ステージの設営ができなくなっていた。
会場の使用時間にはきびしい規則があり、終演時刻は絶対に守らなくてはならない。
天候が好転するのを待ってから設営を開始するとしても、リハーサルの時間のめどさえ立たない。
十数組の出演アーティストは、選ばれた話題の人ばかりで、全員がホテルで待機していた。
夜を徹してマネージャー会議が開かれ、いろんな場合のシミュレーションを話し合った。
開演時間が遅れるのは目に見えていたが、天候次第では中止になることも予想された。
しかし、明け方、雨は小降りになり、朝六時からステージ設営が始められた。
スタッフが総がかりで準備を進めていく。
予定よりも一時間だけ遅れて、午後二時に開演。
時間の変更を知らない二万人のファンは、長蛇の列で会場を取り巻いた。
開演されたときにも、まだ入りきれないファンが入口で大混乱を起こしていたが、
必死の会場整理が行われ、次第に本来のお祭り気分が戻ってきた。
このとき、入口周辺でファンをけんめいに誘導するスタッフの中に、
FM802の年配の幹部スタッフの姿があるのを見て、このイベントのポリシーを強く感じた。
UAの八か月ぶりのライブ、大阪から火がついた山崎まさよし、このイベントのための新曲を歌った佐野元春。
直前までの異常事態を知っているアーティストたち全員が熱演をくり広げて、ビッグイベントは大成功に終わった。
打ち上げ会場では、ミュージシャンが入り乱れてのセッションが延々と続き、
疲労がたまりきったスタッフもにこやかに酒をくみかわしていた。
悲喜こもごもの結果となった三日間のイベントではあるが、
どの会場にも主催者とアーティスト達の情熱と強いポリシーがあふれていた。
明確な意思を打ち出した企画と、一貫した音楽性のアーティスト達。
アーティスト自身がイベントの趣旨を十分に理解しているからこそ実現した熱演の数々。
ワンマンライブに比べて、複数のアーティストが出演するイベントは問題点が多い。
どんなに有名なアーティストを並べても、ファンがそのイベントに関心を示さないかぎり、動員は多く見込めないのが現実である。
貧しい企画のイベントでは、アーティストも全力を投入できなくなってしまうものだ。
イベントのあり方は、最もダイレクトに、スタッフワークの重要性を反映してしまう。
この三つのイベントは、僕にとって、特別なものとして記憶されていくだろう。
そして、今後の音楽業界のなかでも、ずっと語り継がれていくことだう。